御嶽スーパートライアスロン

 長野県南部に位置する山深い町、木曽町。ここに今年で25回目を迎えたトライアスロン大会がある。ロングでもなくオリンピックディスタンスでもない。その名も「御嶽スーパートライアスロン大会」。ただでさえ過酷な3種競技に、“スーパー”を冠した観光目的の大会に迫った。

※A3判のスポーツツーリズム通信はこちらをご覧ください。

御嶽スーパートライアスロンとは

 御嶽山を舞台に、16kmのバイク、10kmの登山、16kmのランを1人、または3人1組で挑む3種競技。帰省客にも地元の御嶽山に親しんでほしいという願いから、曜日に関係なく毎年8月13日に開催される。スタート地点と折り返し地点の御嶽山頂上との高低差は2267m。1988年に第1回目が開催され、2012年の大会で25回目を迎えた。中京地区を中心に毎年約150人が参加。トライアスロン、バイク、トレイルランニングなどのジャンルから有名選手が参加することもある。2005年からは、バイク、登山、ランの種目を3人一組のリレー形式でつなぐ「リレーの部」が新設され、参加しやすくなっている。
 開催地は長野県木曽郡木曽町。2005年に木曽福島町、日義村、開田村、三岳村が合併して木曽町となったが、それまでは三岳村が主催。合併後は地元の消防署、企業、住民などで構成される御嶽スーパートライアスロン大会実行委員会によって運営されており、木曽町観光協会からの補助金に頼らない運営を目指している。

過酷さ・ユニークさがリピーターを呼ぶ

スタートフラッグの向こうにそびえる御嶽山
スタートフラッグの向こうにそびえる御嶽山

 御嶽スーパートライアスロンは正式なオリンピックディスタンスのトライアスロンとは距離も種目もまったく異なる。最初の16kmに及ぶバイクパートはひたすら坂を上るヒルクライム。平均斜度6%、最大斜度20%。コースの90%以上が上りで、高度1027mを上る。次の10kmの登山パートは折り返し地点が標高3067mと高く、晴れていれば継子岳、乗鞍岳、槍ケ岳、穂高連峰などが見えて気持ち良い。半面、荒天なら真夏でも寒いうえにガスってしまう。頂上付近は岩場が多く、荒天なら下りはさらに難関だ。
最後の16kmのランパートはバイクで登ってきたアスファルトの道をひたすら下るので足への負担が大きい。トライアスロンとは名ばかりの異質の競技である。
 しかし、競技規則や審判は長野県トライアスロン協会が認定する立派な競技。そのユニークさに魅了され、参加者の半数をリピーターが占める。スタート前やフィニッシュ後に行われるパーティーの「鉄人祭」では、選手やその家族どうしが、1年ぶりの再会に花を咲かせる。
 なぜ、この山深い木曽で開催される過酷な大会に人が集まるのか。それは、厳しいコースへの挑戦という言葉だけでは片づけられない魅力があるからだろう。御嶽山への登頂や関門などのルール設定だけでなく、前夜祭やゴール後に行われる鉄人祭を通じて選手らが交流し合える場を実行委員会が創っていることも大会の魅力に華を添えている。選手はその温かな手作り感や応援してくれる住民と触れ合うために、再び木曽町を訪れる。

目新しい観光政策を探せ

御嶽スーパートライアスロンを考案した栩本力氏
御嶽スーパートライアスロンを考案した栩本力氏

 御嶽スーパートライアスロンが誕生したのは1988年にさかのぼる。旧三岳村の観光課の課長から「何か目新しい観光政策を考えてほしい」と言われた職員の栩本力(とちもと・ちから)氏が、住民向けにその前年から行われていた「御嶽の里フェスティバル」の目玉イベントになるものを探すために企画プロジェクトを発足。何人かが企画を持ち寄るなか、栩本氏が考えたトライアスロン大会に決まった。
「昔は御嶽山の頂上まで1合目から歩いて行ったものだが、今の人たちは6合目まで車で行って帰ってくる。なぜ、歩かないのか」(栩本氏)。
素朴な疑問と、だからこそ特に若い人に御嶽山に親しんでほしいという願いから、この企画が採用された。観光資源は御嶽山だ。
 開催は立案から3カ月後の8月、御嶽の里フェスティバルの一環として行われることになった。
「この前年にアサヒビールがスーパードライを出して爆発的にヒットしていたので、最初は『御嶽スーパートライ』と名付けた。これを企画会社へ持って行ったら『これはトライアスロンですよ』と言われ、御嶽スーパートライアスロンに決まった。スーパーを残したのは、日本一過酷な大会であることを印象付けたかったから」と栩本氏は振り返る。
 開催に先立ち、実際にトライアスリートに試走してもらったり、富士登山競走や、石川県小松市で1982年から行われている全日本鉄人レースの視察にも訪れた。
「当時は自転車のことをバイクということさえ知らなかった。すべてが手作りだった」と語る栩本氏は、25年を経た今でも大会の技術代表として自らコース上に立って選手を見守る。

山頂に登った選手は延べ4000人

写真中央に写る御嶽山頂上が折り返し地点
写真中央に写る御嶽山頂上が折り返し地点

 25回目を迎えた大会だが、運営が順風満帆に推移しているわけではない。10回目までは前夜祭を派手に行っていたが、経費節減のあおりを受け、競技説明の後、菓子をつまみに缶ビールかソフトドリンクで乾杯する今のスタイルになった。また、御嶽の里フェスティバル全体でボランティアが400人必要だったことから住民の負担が大きく、一時は開催さえ危ぶまれた。しかし、演芸や民謡、迎え火の儀式などで構成されるフェスティバルは15回目で終わり、今はその名残として「夏休みこども体験広場」が唯一、トライアスロンと同じ日に開催される地元の行事として残る。
 規模の縮小化でボランティアの数は約半数の200人で済むことから何とか運営は続いている。
 当初、フェスティバルは地元の住民向けのイベントだったが、お祭りの部分がなくなってトライアスロンだけが残ったおかげで、岐阜、愛知、静岡などの中京地区や、東京、埼玉など関東からも多くの選手やその家族が旧三岳村を訪れるようになった。
「トライアスロンの開催目的は、村の観光と御嶽山の活性化だった。登山者や、山に登る信者さんの数が減る中、若い人に登ってほしいと願い、始めた。少しは貢献できていると思う」と、観光への効果を語る栩本氏。御嶽スーパートライアスロンを通じて山頂へ登った選手の数は25年間で延べ4000人を数え、家族を連れて参加する選手も増えている。少なくとも選手にとっては、この大会が御嶽山に登るきっかけになっていることだけは確かなようだ。

目標は補助金に頼らない自前化の運営

実行委員長の大島聡氏
実行委員長の大島聡氏

 大会の出場者数は毎年150人前後で推移している。25回大会の今年は、149人の個人選手と9つのリレーチームが出場、計176人がエントリーした。個人エントリーの部は男性が1万5000円、女性が1万3000円、リレーは性別に関係なく1人6000円。今年は200万円強の参加費が集まったことになる。この中に後夜祭、記念品代、保険料などが含まれる。
 この費用だけでは大会の運営や年間の活動費は賄えず、不足分をスポンサーからの協賛金や木曽町観光協会を通じて町が負担する。スポンサーからの協賛金は数万円の小口が多く、金銭のほか賞品・参加賞になるモノを提供。観光協会は不足分を補てんする形で約30万円を負担した。木曽町に合併してからは旧三岳村のイベントへの拠出が難しくなっていることから、実行委員会としてはできるだけ補助金に頼らない運営に移行したい考えだ。
 より多くの予算を得るには、より多くの選手に出場してもらう。それが多くの協賛を得ることにもつながるのだが、選手の数が伸び悩んでいるからといって大会の重要な役割を担う鉄人祭を取りやめることは考えていない。
「ただ頂上に登ってスタート地点に戻ってきて解散するだけの大会って、楽しいですか?」。こう言って、実行委員長を務める木曽消防署北分署の大島聡氏は、思い出づくりや交流に関する部分の予算は削れないと引かない。こうした考えが選手に伝わったのか、車の中で寝泊まりしたり、キャンプをするなどしていた選手が、徐々に家族を連れて旅館に泊まり始めた。
 ゴールする選手一人ひとりに駆け寄り、タオルを掛けながら「お疲れ様」と実行委員長自らが全完走者に声をかける運営側のやさしさが、コースの過酷さを忘れさせ、選手を充足感に浸らせている。

温かい地元住民の声援

山小屋で応援するスタッフ
山小屋で応援するスタッフ

 リピーターの選手がこの地を好きなのは声援の温かさもある。ボランティアや実行委員からの「がんばって」という声援はわかるにしても、登山客からも声援が飛ぶ。とかく、山では上りが優先で、山道を駆け下るランナーは迷惑に思われがちだが、この御嶽山では登山者が道を譲り、「がんばって」と選手に声援を送ってくれるのだ。通過する山小屋の主人、農家や旅館の人々も沿道で手を叩いて声援を送る。自然に選手の表情も和らぎ、心地よさを覚える。有名人が大会をプロデュースしているわけでもなく、有名なゲストランナーがいるわけでもない。それなのに半数をリピーターが占めているのは、居心地の良さだろう。

8月13日にこだわる理由

身の丈サイズの大会を心掛け、選手や同伴者に心地よい木曽の空気をいっぱい吸って帰ってもらうスタイルが人気だ
身の丈サイズの大会を心掛け、選手や同伴者に心地よい木曽の空気をいっぱい吸って帰ってもらうスタイルが人気だ

 ランニングやバイクなど市民が出場する大会は日曜日に行われることが多い。稀に土曜日開催はあっても、平日開催はほとんど例がない。それも真夏のお盆の時期の8月13と日にちを固定しているのは極めて珍しい。そこには、帰省した地元の人たちに大会を見たり参加するなどして御嶽山に関心を持ってほしいという願いや、お盆は山小屋に泊まる人が少なく運営に都合がよいなど、いくつかの理由がある。それでも、8月13日が平日にあたると出られない選手が多いことは事実で、「ネックにはなっている」と大島氏も認める。
開催日の変更について正式に議論したことはなく、前後の日曜日にずらしてはどうかといった会話が雑談の中で出るに過ぎない。前にずらせば「サロマ湖100kmウルトラマラソン」や「おんたけウルトラトレイル100km」、後ろにずらせば「OSJおんたけスカイレース」や「OSJクロスマウンテンマラソン」など有名な大会とぶつかり、集客に影響する。「一度決めるとなかなか日程をずらせない。ずらした結果、人が集まらなくなるのが一番怖い」と言い、今のところ日付の変更は考えられていないのが実情だ。
 しかし、お盆の時期であるが故に、休める人は前日入りし、レース後の鉄人祭に出てからもう1泊することもできる。出場者数が減るのは避けたいところだが、大漁を追うより身の丈サイズの大会を心掛け、選手や同伴者に心地よい木曽の空気をいっぱい吸って帰ってもらう今のスタイルが出場者側にも定着しているようだ。

集客頼みは選手の口コミ

一番効果的な集客方法は、出場したことのある選手による口コミ
一番効果的な集客方法は、出場したことのある選手による口コミ

 トライアスロンにスーパーを冠した大会のネーミングがどことなく凄みを感じさせ、「出たことはないが、名前だけは知っている」という人は多い。毎年出場者の半数はリピーターだが、半数は初出場であるため、選手獲得のための営業は必要だ。実行委員会では過去の出場者にDMを送ったり、木曽町観光協会やスポーツエントリーのサイトで募集告知をする一方、実行委員が自ら東京、大阪、名古屋のバイクショップに出向き、チラシの設置をお願いしている。歴史があるため、顧客相手にチームを運営しているショップや大手の店舗では反応がよいが、一番効果的なのは出場したことのある選手による口コミだという。
 一方、ボランティアは例年、地元の中学生のほか、水資源機構や消防隊、農協など地元の組織に依頼している。

ゼッケン番号は実力順

近年の順位で決まるナンバーカード
近年の順位で決まるナンバーカード

 この大会のユニークな試みがもうひとつある。ナンバーカードの番号が実力順という点だ。前年の優勝者が1番、入賞者や招待選手に一桁の番号が割り当てられるケースはよくあるが、この大会では全選手に主催者側が故意的につけた番号が割り当てられる。エントリーを締め切った後に選手の顔ぶれと過去の戦績をチェックし、近年のタイムの良い順から若い番号を割り当てる。だからナンバーカードを見ればおのずと実力の程度がわかり、選手同士も力が入る。出場が5年ぶりだったりすると、過去の出場から5歳年を取っていることなどを考慮し、番号を当時よりも落とす遊び心ものぞかせる。
 初開催から四半世紀を迎えた大会は、周辺地域との町村合併により関心が薄くなっているのが気がかりだが、旧三岳村の人脈づくりと御嶽山への登山の機会の創出につながっていることは確かだ。

御嶽スーパートライアスロンの開催目的
①1合目から“歩く御嶽山”の復活
②地域の観光と御嶽山の観光資源化
③御嶽山への登頂機会の創出
④地域住民と選手とのコミュニティづくり
⑤帰省者の地元への愛着心の創出