スリーピークス八ヶ岳トレイル

小海線から北部は標高1,000m
小海線から北部は標高1,000m

 トレイルランニングを通じて八ヶ岳南麓をアピールし、地域の観光を活性化させたい――。自治体でもなく、企業でもない。地元で育ったひとりの若い女性の発案と行動が周囲の人々を動かし、その輪が市や観光に関わる地域の人々、そしてトレイルランニングを愛する県内各地の有志に波及。2013年6月9日、2年間の構想・準備を経て「スリーピークス八ヶ岳トレイル」が実現した。参加者や同伴者の評判は上々で、スポーツイベントを開催する新たな組織の枠組みとして注目を集めそうだ。

※内容を抜粋したA3判の「スポーツツーリズム通信」とは内容が一部異なります。

仲間という共同体が、オール山梨でランナーを誘致

「山しかない山梨で、未来を創る子供が『山梨ってすごい場所なんだ!』と思ってほしかった」と語る松井裕美氏
発起人の松井裕美氏

「これはすごい大会ですよ」
 スタート前、撮影に訪れていたアウトドアカメラマンの藤巻翔氏が言う。
「すごい」とは、コースの距離や難易度ではない。行政や特定の企業を核としない、友人から友人へとつながった地元の有志が起ち上げたレースを意味する。
 レース当日の6月9日に参加したボランティアは約250人。会場に40人、分岐誘導などコース上に150人、3カ所のエイドステーションに各15~20人。スイーパーは38km部門に6人、23km部門に4人、マーシャルランナーは38kmに12人、23kmに2人、このほかドクターランナーを1人、ドクターランナー以外の医師を3人配置するなど、手厚い体制を敷いた。ボランティアの数は相当だ。
「山しかない山梨で、未来を創る子供が『山梨ってなんてすごい場所なんだ!』と思えるのは、この地で地元が主体となった大会を開催し、その大会にたくさんの県外ランナーが参加してくれること。それによって、地元の住民が『山しかない山梨』ではなく、『山がある山梨って本当はすごいんじゃないか』と思ってほしかった」
 事務局長で「スリーピークス八ヶ岳トレイル」の発起人でもある松井裕美氏は、レースの3日後にフェイスブックでそう打ち明けた。
 こうした彼女の考えとバイタリティが次第に周囲に共感を呼び始め、発案から2年の間に友達の輪や支援者が拡大。甲府市にあるアウトドアショップ「エルク」やフェイスブックを通じて県内各地に仲間が増える一方、開催地となる北杜市では道の駅などを運営する会社や美術館、リゾートホテル関係者など、観光にたずさわる若手が個人的に結集し、実行委員会に名を連ねた。そのネットワークを駆使して大会の開催を市に呼びかけ、前観光庁長官の溝畑宏氏を大会会長に担ぎ出した。スポンサー営業も自分たちで行った。
 企業体でもなく、マラソン大会のように行政が中心にいるわけでもない。中心にいるのは仲間という共同体だ。
「我が地元、山梨に来てほしい」
 想いは、開催地である八ヶ岳南麓の北杜市を通り超え、オール山梨の様相を呈していった。
 ちょうどこの日の1週間前の6月2日、岐阜県美濃加茂市長に前市議の藤井浩人氏が現職市長では全国最年少の28歳で当選している。閉塞感が漂う地元を振り返り、「郷土を自分たちの世代で元気にしたい」と、東京のIT企業の内定を断り、市内で塾を始め、市議から市長へと駆け上った人物だ。舞台も場所も違うが、松井氏らの理念とどこかが重なる。

選手以上に熱く感じた大会当日

参加選手700人のうち、約600人が東京や神奈川など県外から参加した
スタート直前の様子

 大会当日、エントリーした約700人がスタート地点である北杜市長坂町の三分一湧水会館に集まった。38km部門は7時、23km部門は7時30分のスタートだ。集まった選手の約600人が東京や神奈川など県外から来ており、あまりの好天と目の前に聳える八ヶ岳の景色に興奮を抑えきれないほど盛り上がっていた。しかし、選手以上に熱くなっていたのが実行委員のメンバーやたずさわってきたスタッフたちだ。なかには、目頭を熱くし、抱き合う者もいた。
 スリーピーク八ヶ岳トレイルの総予算は約500万円。そのほとんどが選手のエントリーフィーから成る。市からは補助金が20万円出たものの、現金支給のスポンサーは少なく、多くが物品支給の協賛だった。「無駄な費用は使わない。ある物を使う。借りられるものは借りる。全部を揃えようとしない」。実際のランナーや観光事業者、土地勘のある者、会場のある地区に住んでいる者、デザイナー、スポーツイベント会社務めの者など専門知識のあるメンバーがチームとなって実行委員会を担ってきた。予算を徹底してやりくりしてきただけに、スタート時の感慨もひとしおだったに違いない。大会の運営で一番重視していたことは「やれることをやる」。

 その結実の日がやってきた。

「また出たい!」と思わせるコース設定

スタート直後は武田信玄が進軍したとされる棒道を通過
信玄の棒道

 こうした実行委員会の熱い思いを選手らはスタート直後から目の当たりにする。木製のボードや黄色いテープ、赤いコーンを使ったマーキングが随所に施され、道に迷いそうなところは1ヵ所もなかった。ボードには「さあ~行こうっ!」「Fight!」「がんば!」「来てくれてありがとう」などのメッセージがマジックで書かれ、遊び心をのぞかせる。機械的に印刷してパウチしたボードよりも、こうした手作り感のあるボードのほうが、選手にとってはメッセージ性が強い。

県内各地から参加したボランティア
県内各地から参加したボランティア

 また、山の中だというのに分岐点やエイドステーションでは多くのボランティアスタッフが選手一人ひとりに熱い声援を送り続けた。スタッフに「どこから?」と問うと、異口同音に「地元です」と回答していたが、実際は甲府、甲斐、山梨、塩山など遠方から来ていた人も多かった。「県内であれば地元なんですよ」とあるスタッフは語る。オール山梨のチームワークの良さが山にこだましていた。

梅雨入りしていたにも関わらず北岳や甲斐駒ケ岳を擁する南アルプス、それに目の前に聳える八ヶ岳南陵の編笠岳と権現岳には雲ひとつなく、雪を頂く富士山ともどもすばらしい眺望をプレゼントしてくれた。
目前に迫る編笠山

 選手に好印象を与えたのが、こうした熱い声援とコースから見られる景色だろう。最も賑わっていた第2エイドの天の河原には、第1エイドの観音平のスタッフが選手通過後に移動、最終的に30人以上のスタッフがこれから上りに向かう選手を盛り上げた。また、梅雨入りしていたにも関わらず北岳や甲斐駒ケ岳を擁する南アルプス、それに目の前に聳える八ヶ岳南陵の編笠岳と権現岳には雲ひとつなく、雪を頂く富士山ともどもすばらしい眺望をプレゼントしてくれた。晴れていればこその絶景だが、第1回目は大会関係者の努力に天気も味方してくれたかのような好天に恵まれた。

「もっとも八ヶ岳らしい雰囲気を出したかった」
コースディレクターの小山田隆二氏

 コースの前半3分の1が三つ頭分岐点に向けた登り基調、中盤3分の1がそこから第2エイドまでの下り基調で、実はトレイルランニングらしいコースは終盤3分の1だけだった。それにもかかわらず多くの参加選手がすばらしいという印象を残しているのは、その終盤が最初の長い登りをも忘れさせてしまうほど気持ちの良いトレイルだったことと、全体的に距離が程よく、鎖場や岩場などの難所がなかった点だろう。見事なコース設計とレギュレーションが奏功し、完走率は9割を超えた。
 1年前にこのコースを考えた小山田隆二氏は、毎年12月に甲府市で行われている「武田の杜トレイルランニングレース」のように走れる部分をもっと増やすべきかどうか悩んだ末、今回のコースを決断した。
「もっとも八ヶ岳らしい雰囲気を出したかった」
 トレイルランニングは昨今、距離が100kmを超えたり、コースの険しさを競うようなレースが珍しくなくなってきたが、スリーピークス八ヶ岳トレイルは標高2500mの世界をあっという間に体験させてくれる。「また出たい」と語る選手は多く、今後はスカイレースとしても人気を呼びそうだ。

一人の女性の夢をかなえるため

観光事業者の観点から、小淵沢―長坂エリアにおける閑散期の観光の活性化を主な目的に挙げる。「観光で成り立つ北杜市は人材の宝庫。だから大会が実現した」
実行副委員長の松山光氏

 仲間たちはなぜ、スリーピークス八ヶ岳トレイルを開催したのか。実行副委員長で、開催場所の近くにある平山郁夫シルクロード美術館の管理室室長を務める松山光氏は、観光事業者の観点から、小淵沢―長坂エリアにおける閑散期の観光の活性化を主な目的に挙げる。大会前の試走や当日の家族同伴旅行による旅行者の受け入れ、官民一体となった環境整備、スポーツツーリズムとしてのフィールドの醸成が主な狙いだ。武田信玄が信濃侵略のために切り開いた軍用道路「棒道」を観光資源としてクローズアップさせたいとも願う。
 しかし、第一に挙げた開催理由は、「一人の女性の夢をかなえるため」だった。
 発起人の松井裕美氏は、レース会場に近い八ヶ岳の麓、北杜市小淵沢町で生まれ育った生粋の地元っ子だ。しかし、小学校を卒業すると甲府市の私立中学へ進学。1時間に1本しか来ない電車、1日に数本しか来ないバス。そんな不便な町から抜け出したいと常々思っていたため、田舎を離れると同時に心は生まれ故郷から遠ざかって行った。
愛着はあっても誇りを持てない町――。結婚や出産、育児とともに小淵沢の存在は彼女から忘れ去られた。
 しかし、子供が成長していくうちに、ふと疑問が生じたという。
「このまま育てば、この子も私のように、田舎って嫌だな、早く出て行きたいなと思ってしまうのではないか。田舎に住んでいながら、田舎で過ごす喜びをまったく知らずに過ごしてしまうのではないか」
 子育て支援講師として山梨県内でさまざまな教室を展開していた松井氏は、山梨に対する子育て環境の良し悪しを親から聞くうちに、「田舎であることを上手くアピールできれば、打開策があるのかもしれない」と思うようになった。
 コースディレクターを務めた小山田隆二氏との再開はそんなタイミングだった。

トレランで地域の魅力を発掘。子供たちに誇りを

「実行委員が成長するためにも、また一丸となるためにも、このUTMFが貴重な経験になった」
2013年4月に開催されたUTMF

 松井氏と小山田氏はかつて同じ職場だったこともあり、もう10年以上友人関係だ。あるとき、その小山田氏からトレイルランニングの話を聞く。最初は山を走るなんて信じられないと思っていた松井氏だが、次第に山を走ることの魅力に引き込まれ、いつしか、「山を走りたい人と、山があるのに使い道がなく、そのまま放っておく田舎がある。それをつなげられたら、未来を支えていく山梨の子供たちがこの土地で生まれ育つ喜びに変わるかもしれない」と本気で思うようになった。誰かがではなく、トレイルランニングを通じて自分でこの田舎を豊かな田舎としてアピールしようと考えたのだ。
 山しかないではなく、山がある。その山を求めて山梨の外から人々がやって来る。自分たちの土地のすばらしさを地元の子供たちが知ることで、地元に愛着だけでなく誇りを持てる。そんな構図をトレイルランニングに見出した。彼女の視点は観光を飛び越え、そこに住む人たちが自信を持てる地域づくりにあった。
 しかし、当の本人は山を走ったことなどない。小山田氏に「トレランをやらない人がトレランを語るな」と言われたことをきっかけに、2011年12月、甲府で開催された「武田の杜トレイルランニングレース」にコース誘導のボランティアとして参加。笑顔で激しい坂を走る招待選手の菊嶋啓選手をはじめ、ほとんどのランナーが苦しい坂を登りながらも「ありがとうございます」と笑顔であいさつする姿に心を奪われた。2012年8月にフランスとスペインの国境で行われたグランド・レイド・デ・ピレネーで優勝した山本健一選手からも、トレイルランニングは人類平和につながると聞かされていたこともあり、選手が山を走る姿を子供たちに見せたいとの思いが次第に強くなっていく。
 松井氏ら一部のスタッフは2013年4月、富士河口湖町や富士市を起点に開催されたUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)に協力団体として参加。約30時間にわたってボランティアとして大会に関わり、開会式や選手の様子、レースの雰囲気や誘導スタッフの役割などを学んだ。「実行委員が成長するためにも、また一丸となるためにも、このUTMFが貴重な経験になった」と振り返る。

地元色を出そうと自主企画運営

地元にトレイルランニングを根付かせ、継続させたいとの思いから、運営や企画を経験のあるイベント会社に頼らず、地元の有志だけで行った。手作りの道標、表彰状、トレイルランニング大会では珍しいスタート・ゴール地点での豊富な飲食店の出店にそれが見て取れる。
手作りの看板

 支援基盤も潤沢な資金もない。だが、実行委員会はできるだけ大会に地元色を出そうと腐心する。地元にトレイルランニングを根付かせ、継続させたいとの思いから、運営や企画を経験のあるイベント会社に頼らず、地元の有志だけで行った。手作りの道標、表彰状、トレイルランニング大会では珍しいスタート・ゴール地点での豊富な飲食店の出店にそれが見て取れる。

松井氏は当日のスタッフに「ラッパや鈴などの鳴り物で選手を元気づけてほしい」と注文。
もっとも賑やかだった天ノ河原のエイド

 松井氏は当日のスタッフに「ラッパや鈴などの鳴り物で選手を元気づけてほしい」と注文。分岐点やエイドで見られたあの声援がそれを物語っている。地元の旅行会社に依頼して新宿から会場までの往復直行便バスを2台、有料で運行したほか、わずかな利益を当日の応援バスの運行費用に充てる配慮も見せた。
 しかし、もっとも苦労したのは、核となる実行委員会のメンバーにトレイルランニングを知る者が、松井氏と小山田氏しかいなかった点だ。残雪の中のコース下見や除雪、山岳エリアの許可申請、山岳会との連携、資金工面など課題は山積していたが、会議はトレイルランニングとは何かということから始まり、毎回深夜1時、2時まで及んだ。次第に松井氏と小山田氏の間でも口論が激しくなり、お互いに大泣きや怒号を繰り返す日が続いた。受付前日の6月7日の夜まで激しい喧嘩を繰り返し、その場にいた実行委員スタッフ全員を凍りつかせたという。

大会当日、2,000人が北杜市に集合

「走るだけではない喜びを提供したかった」。こうした女性目線の企画も奏功した。
会場を賑わせたマルシェ

 しかし、トレイルランニングに詳しくない実行委員会が主催した手作りの大会は当日、前述の理由から選手に高い評価を得る。約700人の選手、想定700人の家族や友人といった同伴者、地元からの応援やマルシェへの参加者250人、ダイバーシティランやフットパスなど関連イベントへの参加者200人、スタッフとボランティア150人を合わせると約2,000人が北杜市に集まった。前日受付をルールにしていたため、近隣のホテルや貸別荘、ペンションなど多くの宿泊施設が満室となったことを考えると、観光への効果は大きかった。
 この前日受付の義務化に関しては、選手に宿泊費を負わせることから賛否両論がある。今大会でも前泊に難色を示す選手が多く、その問い合わせが最も多かったという。なかには「なぜ当日に受け付けをしないんだ」と怒る者もいたが、松井氏らは地元山梨の食材やクラフトを購入できるマルシェを会場に設置し、大会前日やレースに参加しない同伴者でも楽しめることをアピール。結果的に参加者からは、「前日受付でゆっくりできた」「会場で楽しめた」などの声が寄せられた。マルシェは、松井氏がかつて出場した大会で会場が寂しかったことから特に力を入れていた構想。「走るだけではない喜びを提供したかった」という。こうした女性目線の企画も奏功した。

行政や企業が思いつかない誘客を

大会前の試走会や清掃登山で、トレイルランニングを通じて地域の活性化を図る
試走会や清掃登山で盛り上げる

 とかく八ヶ岳というと、ピークの赤岳や縦走できる阿弥陀岳、硫黄岳や天狗岳を抱える北八ヶ岳がクローズアップされる。南麓は権現岳の知名度はあるものの、編笠山や三つ頭の知名度は低い。今回の大会を通じてさまざまなジャンルの媒体で南八ヶ岳が取り上げられたことが観光面としては大きかったと松山氏は振り返る。
「大会は、大勢の人に北杜市を再認識してもらえる機会となった。バスの運行や近隣のレストランと食を通じた連携、マルシェの出店、優勝トロフィーのクラフト制作などにも効果は波及し、単純にスポーツだけの世界にとどまることのない大会が実現した」(松山氏)

「いいね」が瞬く間に900を突破したFacebookページ。進捗状況を伝えるこまめな更新も関心を高めた
Facebookページ

 選手の募集は、速報チラシを地元のアウトドアショップにおいてもらったが、ホームページ、ブログ、Facebook、クチコミの効果が大きかった。なかでもSNSの効果は絶大で、「いいね」は瞬く間に900を突破。書き込みも多数にのぼった。応募締切の2ヵ月前には定員に達し、2度行った試走会も満員に達した。こうした活動が最大の宣伝効果につながったという。
 スリーピークス八ヶ岳トレイルは、地元出身者が先頭に立ち、観光事業に従事する者が深く関わっていたことから、市の広報や地元の新聞、開催地区の総会などでも取り上げられ、地域住民の理解はおおかた得られていた。「官民が一体になると同時に、地元の方と移住者が共に手を取り合えたことが嬉しい」と松山氏は地域の内情を語る。
北杜市の露出は増えた。今後は大会以外でも走りに来てほしいと関係者は口にしている。

「無駄な費用は使わない。ある物を使う。借りられるものは借りる。全部を揃えようとしない」。MCも専門会社に依頼するのではなく、北杜市をよく知る地元の五味氏が務めたのも好印象。
MCを務めた五味愛美氏

 そして、大会を実施したことによる最大の効果は、地域の仲間がこのスポーツを通じて一体感を持てたことだろう。当初はすべての実行委員が共通した思いや考えで足並みを揃えることが難しく、ぎくしゃくしていたが、最終的には全員が自分たちの大会であることを認識し、他人事と思わずに運営に参加、当日も熱い声援を送った。選手が走る姿を見て「来年は自分も走りたい!」と口にするスタッフは少なくなかった。大きなことを成し遂げたこのチームワークの結束こそ、次に何かを生み、それが地域の活力につながる。これが今大会の最大の成果物ではなかったろうか。第1回大会の開催で満足することなく、培ったノウハウと地域の結束力を、行政や企業が思いつかない誘客方法や地域の魅力づくりに活かしてほしい。
 政府はかつて、観光振興に成功した人材を観光カリスマとして選び、その実績を学ぶよう推奨していたが、選ばれた人々は成功を収め、それなりの地盤や肩書を持つ人たちだった。真のカリスマとは、地盤や肩書や知名度や年齢とは関係なく、地域を愛し、地域の将来を考え、訪れる者の喜びを享受できる人を指すのではないだろうか。チーム北杜市にそんなカリスマ性を見た。

レース当日に参加したボランティアの内訳

会場 40人
コース上 150人
エイドステーション(1カ所あたり) 15~20人
スイーパー(38km部門) 6人
スイーパー(23km部門) 4人
マーシャルランナー(38km部門) 12人
マーシャルランナー(23km部門) 2人
ドクターランナー 1人
ドクターランナー以外の医師 3人

観光振興のために工夫したこと

・学生枠の設置
・近隣レストランでのカーボローディング食への取り組み
・前日に開催した多様性RUNとの連携
・高低差1,500m、トレイル率95%、混雑回避などを意識したコース  

 設定

 など

自治体からの具体的な協力や協賛

 市から

・選手への郵送物などの印刷費
・当日の人手30人
・テント、テーブル、椅子などの備品の貸与
・選手を食の面からサポートする取り組みの取りまとめ
・地元小学校の駐車場(約200台)の貸与
・各種手続き(書類)のサポートなど

地元地区から

・地元太鼓隊の出動
・公民館の貸与
・関係者用の駐車場貸与
・大会開催の地元への告知
・当日の沿道応援の奨励
・当日の飲食ブースの出店など

観光協会(八ヶ岳観光圏)から

・看板整備
・各種団体へのボランティアの奨励など

©2013 禁・無断転載

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